コラム『松本すみこのシニアライフ』 No.21

 

高齢者に車は不可欠

2016年12月17日

 
 

運転免許を取り上げろ!

高齢者が頻繁に起こす交通事故が問題になっています。実は、交通事故は私も経験があるのです。

忘れもしない2010年9月。鳥取での講演のために前日入りし、せっかくだからと、出雲大社をお参りすることにしました。参拝を済ませ、名物のお蕎麦を食べ(美味しかった)、さて、鳥取へと、タクシーに乗りました。

道半ば、突然の衝撃が! 反対車線を走っていた乗用車がセンターラインを飛び出し、私が乗るタクシーと正面衝突したのです。

初めての出来事に動転しながらも、自分で体を調べてみると、右の手首が変な形になっています。間違いなく、折れていると思いました。
後で聞いたところでは、タクシーの運転手さんは、ろっ骨が2本折れていたそうです。

運転していたのは、83歳の男性。友達とゴルフをした帰り道、つい居眠り運転をしてしまったとか。怒り心頭に達していた私は、翌日の警察官の調査質問に、80歳を過ぎた人からは運転免許を取り上げるべきだ!と、訴えました。

しかし、冷静になって考えてみれば、地方では車がなくては動くことができません。先日、ある講座で、「この会場にどのような交通手段で来ましたか」と質問したところ、8割以上の人が「自分の車」と答えました。車はほとんど体の一部、文字通り「足」なのです。

とはいえ、交通事故は防がなければなりません。特に、運転ミスで、他人の命を奪ってしまうような事態は、事故とはいえ、殺人といっても過言ではありません。何歳であろうと、その罪は償うべきでしょう。

心配なのは、自らの運転に過剰な自信を持っている高齢者が多いことです。自分が気づかないだけで、体力も技術も確実に落ちているのに、自分は大丈夫だといいます。私は、時に、自信過剰な方々には、こういう脅かし文句を言うことにしています。

「自分の運転ミスで、死ぬのは自業自得、どうぞ、ご勝手に。だけど、他人は道連れにしないでほし。特に若い人を殺さないでほしい」。

車そのものが変わるべき時がきた

しかし、高齢者の事故を高齢者自身の問題として片づけるのは単純すぎます。

どんなに気をつけていても、事故の可能性は残ります。だからといって、家に閉じこもるようになれば、それはそれで新たな問題が生じます。もっと根本的な解決策がなくてはなりません。

私も運転免許を持っていますが、ずいぶん前からペーパードライバーです。正直言って、最初から運転は苦手でした。

そもそも、アクセルとブレーキがほぼ同じ場所にあって、右左の足で使い分けなくてはいけないということが不思議です。その間に、信号を見て、道路標識を見て、ミラーも見て、忙しい。「とっさの場合には間違えるかも」という自信(?!)がありました。ペーパードライバーになるのは時間の問題でした。

車は発明されてから今まで、どちらかというと愛好家のために設計され、デザインされ、製造されてきたのではないでしょうか。最初はお金持ちしか買えなかったものが、一般庶民のものになっても、いまだに、車への憧れが大きな部分を占めているような気がします。

車とは、車が好きで、運転も得意な人たち、主に若い世代が乗るもの。少々運転が難しくても、だからこそ、車とはこういうものだと容認し、愛する人たち。この発想がいまだに続いています。しかし、時代は変わりました。

若者の車離れが問題といわれていますが、今、本当に車が必要なのは高齢者です。超高齢社会で、車が本当に足として必要とされる時代なったのです。

だから、車自体が変わらなければなりません。アクセルは足で踏んでもいいけど、ブレーキはとっさに手で押せるとか、あるいは手だけで運転できるとか。

今の日本には、体の一部としての車を必要としている人たちがたくさんいます。であれば、車には、従来のような愛好家に向けたものと、体の一部として扱われるものの2種類の開発思想が必要なのです。

私の希望は、早く、自動運転車が普通に走っている社会になることです。それが実現すれば、買い物難民も引きこもり老人もかなり解決され、本来の生涯現役、一億総活躍社会への貢献度は大きいと思っています。

アジアを含めて世界の国々は、日本の後を追って、高齢社会が進展します。日本が新たな発想の車を先駆けて造ることで、自動車産業の日本の優位性も保たれるのではないでしょうか。

車の運転は苦手でも、ドライブが好きな私としても、もう一度、自分でドライブの旅を楽しんでみたいのです。

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